2013年7月20日土曜日

複眼を持つ-51歳になって思うこと

今日、今年2度目のブルーベリー狩りに行ってきた。
自宅にも8本分の鉢があるのだが、育てる方はどうも下手くそで、収穫は大してない。

これまであまり気にしたことは無かったのだが、今日ブルーベリー狩りで思ったことは、見るポジションによって、実が見える角度が異なるということだ。

当たり前と言えば当たり前の話だが、思った以上に違う。

以前はただ無心に、「大きい実を、出来るだけ沢山」という、子供とほぼ同じ発想で、とにかく一番実がなっている木を探し、ひたすら採ってある程度表面が終わると、次の木という狩り方だった。


今日は、少し行く時間が遅くなり、午後になってからの訪問だったため、他のお客さんがある程度採られた後だったこともあり、パッと見て、「あれ?あまりない」という景色に見えた。

それでも、せっかく訪問したので、採り始めると、たくさんなっている枝が、少し奥まったところ、表側に見える枝に隠れて見えないところに点々と存在することに気が付いた。

また、更に進めていると、もっと多く存在することを知ることになる。

ブルーベリー農園に行かれた経験はおありでしょうか?


殆どの場合、列になって木が配置されており、両サイドから実を採ることが出来る。

片側から実を採っている時には全く気が付かないが、反対にまわると多くの実が隠れていることもしばしばで、真剣に探しているつもりでも実は、限られた場所しかみていないことを思い知る。



私は、仕事でトレーニングの講師を務める際、しばしば「複眼」という表現を使う。トンボなど昆虫の目が複眼で、ハチの巣のように多くのレンズ集合体が目になっているものだ。

ハエが2000個、ホタル2500個、トンボはなんと2万もの目を持っているようだ。
それぞれが位置と角度が微妙に異なることから、図形を認識できる仕組みである。

この複眼の仕組みを引用して、例えば、顧客分析などをする際に、単眼で顧客を決めつけてしまうのではなく、様々な観点から見つめることで、その顧客像がはじめて立体的になる、というようなメッセージを伝えている。


私事で恐縮ではあるが、本日は、小生の誕生日だった。
ちょっと人生を振り返ってみると、実は人生として単眼になってしまい、見過ごしてしまったこと、気づかなかったことが山ほどあったのだろうと考えさせられた。

ブルーベリー狩りでも、1本の木をある程度しっかり見て狩る方が、表面的に沢山なっていそうなものを次々に狩るよりも結果的には収穫が多い。

これまで新しいことばかりを追求してきた人生のような気がする。
51歳の今日、己の人生で、大切だが忘れてしまったこと、本来行っていなくてはいけない仕掛かり事、不義理で会えない方々、やり残したことがないか、しっかり振り返ってみたいと思う。

実は、たくさんの教えがあるような気がしてならない。

今年1年の抱負は複眼をもって丁寧に生きてみようと思う。

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