2014年4月17日木曜日

平成メディア考Ⅱ-STAP報道のこれまでとメディアの矜持を検証する

STAP細胞、延いては小保方氏へのバッシング報道が止まらない。
416日の笹井副センタ―長の記者会見により、更に加熱した。

「嵩に懸かる」-(優勢に乗じて攻める、優位の立場をいいことに相手を威圧する)という表現がまさにぴったりの姿勢ではないだろうか?


今日は、メディアの矜持(プライド)について一連のSTAP報道を例に考えてみたい。


まず始めに、STAP関連の報道が、本質的に幾つかの問題を混同している部分を整理してみたい。
STAP現象、STAP細胞、STAP幹細胞の真偽について。
②小保方博士の化学者(理研研究員)としての資質と、今回の責任について。
③理化学研究所のあるべき姿。



①に関して、少なくとも日本のメディアは殆ど言及していない。笹井氏報道で少し解説するメディアがあった程度で、言及しているのは、論文発表に関する手続き論と小保方博士批判だ。

手続きの不備については、②、③に該当する内容であって、①そのものではなく、いわゆる外堀についての議論である。
TVに出てきて、「研究記録がノート2冊である時点で既にまともな研究とは言えない」という類の専門家(?)の発言などはその最たるものであろう。

上記内容は、コメンテーターとして有識者、専門家のコメントだが、一般の人の感想と本質的な差異を感じないのは私だけであろうか?


人類にとって、STAPという現象が本当に存在するか否かは、極めて重要な問題で、一研究員の研究者としての成熟度、一研究所の体制の問題とは次元の異なる問題である。

そもそも中身は解らないので、理研に都合の良い手続きの部分だけ重箱の隅をつつくような調査をすることでお茶を濁すことではないはずだ。

しかも、挙ってメディアは同じ論調で理研サイドにたって、小保方博士批判をするに留まっている。
もしも、これが当初の期待通り全く新しい世紀の大発見だったと仮定した場合、その肝心な内容ではなく、これまでの論文作成の体裁、手順といった言わばお作法がなっていないから、発見そのものが無かったとするならば、人類の進歩は止まってしまう。

同じ論調を体制側の情報だけから発表するのであれば、メディアが複数存在する意味はない。

当該内容は当ブログでも、説明しているので参照されたい。


BBCCNNNew York timesなどをみてみると、3誌で最新は41日の理研の最終報告の内容についてなど、公式発表の報道はされたが、小保方博士の記者会見、先日の笹井副センター長の報道はされていない。

これは、STAP細胞の真偽については報道するが、理研と小保方博士の個別の問題については報じる必要性を感じていないということであろう。
メディアとしてのスタンスが明確である。


結論として残念ながら、20144月現在、STAP現象の真偽については不明である。

- 因みに現象の真偽が不明であるため、STAP細胞の作製、増殖可能な幹細胞(分裂して同じ細胞を作る能力、または異なる種類の細胞に分化する能力を持った細胞)の有無の真偽はまだまだ時間を要することになる。



次に②の小保方博士の理研研究員としての資質と今回の責任について

理研が6つの疑問を定義し、その結果報告を行っている。皆さんも良くご存知の内容だと思うので、ごく簡単におさらいだけしておきたい。

1.Nature誌論文に掲載された画像が、過去(2011年の博士論文)の画像と酷似している。
理研によれば、これは捏造である。という発表がなされた。小保方博士も取り違えは認めている。

2.遺伝子の実験データ画像が切り貼りである疑い。
理研は改ざんと断定。小保方博士は、作成条件を理解しておらず、「見やすくした」と加工は認めている。

3.実験手法に関する記載の一部が他人の論文の盗用の疑い。
理研は文献引用の記載はないが、不正とは判断できないとコメント。

4.上記3の手法が実際の手順と異なる。
理研は実験の詳細を把握せず載せた過失はあったが、不正とは言えないと判断。

5.STAP細胞画像に不自然なゆがみがある。
Nature誌の編集過程でのゆがみの可能性があり、不正とは言えない。

6.別の条件で実験した2種類のマウスの胎盤の画像が似ている。
不要になった画像の削除を失念したものとして、不正とは言えない。


上記から言えることは、決して「これまでの常識」としての精密な手続きと、不備がないような検証がなされたとは言えないことから、小保方博士が経験不足であることは容易に判断できる。
しかし、小保方博士の化学者としての能力自体を否定するものだとは思えない。

この問題については、今後理研と小保方博士が論文をどうするのか、今回の責任の所在をどのように調査・分析するのかを、双方がしっかりと論議して明確にすべき問題であろう。



最後に③理化学研究所のあるべき姿について。

2つの点で問題があるものと考えられる。

1つは、今回のSTAPは化学における重大な発表であるにも関わらず、とかげの尻尾切りのように、小保方博士個人の問題として処理しようとしている点だ。

理研のチェック体制に問題が無かったと言えるのだろうか?一般企業であったならば、世紀の大発明をした会社がその業界ではナンバー1である雑誌に記載し、記者会見までした内容が、後から幾つかの疑惑が生じたからと言って、開発のリーダーであるユニット長が未熟でした、全てはユニット長の責任です。

という理屈が成り立つのだろうか?


ようやくここに来て、論文を指導した笹井副センター長が、自身の至らなさという表現はしたものの、チェック体制の脆弱性は依然として否めない。

自らの襟を正し、プロセスの見直し、研究所の責任の所在等、しかるべき責任を明確にすべきではないのか?メディアもそれを指摘すべき立場にあるのではないだろうか?(笹井副センター長への質問も、長時間に亘ったものの、本質論というよりは外堀に関する質問に終わり、なかには小保方博士との男女関係に及ぶものさえ存在した)



次に、何故この問題を理研が全力をあげて、本当にSTAP現象が存在するか否かを可及的速やかに検証しないのか?6つの疑惑を調べることより人類にとって遥かに重要ではないのか?

小保方博士、研究に関わった全ての協力者、当該分野のスペシャリストの叡智をあらゆる手段をつかって結集させ、その真偽を明確にすべきであろう。

これまで述べてきた点について、何故日本のメディアがもっと明確に調査、報道しないのか?甚だ疑問である。
私には問題を矮小化しているように見えてならない。

更に言えばどのようにすれば証明できるのか?という肯定論のスタンスでもっと建設的な質問、報道のメディアが存在しないのか?



現在の日本メディアに、プライドはあるのだろうか?ポリシーはあるのだろうか?報道とは何をなすべきものなのだろうか?

理研の発表を鵜呑みにしたり、小保方博士、笹井センター長を非難する前に、メディアとして、問題の整理、本来のプロセス、課題の所在と起こった原因、そして、今後どのような覚悟と体制でリカバリーをするのかを、独自の調査、見解も含めぶつけるべきではないだろうか?


この論議が人類にとって前向きに動き出すトリガー(引き金)となるような役割を、メディアには期待したい。