2013年9月25日水曜日

半沢直樹最終回にみる教訓-倍にして返す中身と相手

平成の怪物番組、TBSの半沢直樹の最終回が9月22日に放映された。
ビデオリサーチによれば、関東の平均視聴率42.2%、瞬間最高視聴率46.7%とのことで、平成になってからの民放ドラマとしては、もちろん断トツのトップを記録した。

まだご覧になっていない方で、今後見る予定のある方は内容にふれるため、ドラマを見てからお読み頂くことをお奨めします。


このドラマ、「倍返しだ!」という流行語を生んだことでも、話題を呼んだ。
主人公がいわゆる悪役を成敗する仕立てで、溜飲が下がる思いで毎回を楽しみにしていた視聴者が多かったという。

しかし、最終回はかなり意外な結末で終わった。
成敗されたはずの悪役は常務取締役から取締役への降格という比較的軽傷で済んだ。

一方、成敗した側である主人公は子会社へ出向(事実上の左遷)を言い渡されたところで番組は終わる。
両者降格であるが、主人公の方が大きな代償で、実質的には負けである。

ネットでも終わり方に関して、様々な意見が飛び交っているようで、流石に人気の高さが窺える。


内容はご存知の方ばかりだとは思うが、念のため少しだけ整理すると、この主人公の銀行への入行の動機は、町工場を経営していた自身の父親が、銀行から融資が受けられず自殺に追い込まれたことに端を発する。

その銀行とは、現在は合併後であり、当時の銀行そのものではないが、まさに自身が務める東京中央銀行である。

更には、当時の担当者は現常務取締役の大和田で、今回の半沢の最終的な標的である。


その最終標的にたどり着くまでに、何人かの人間とかかわり、何人かの悪を成敗してきた。

その成果の報酬(取引条件)として、一支店の融資課長であった半沢は、標的である大和田常務に近づくために本社の営業二部次長へ栄転する。

そして、ある融資案件を巡って大和田と対決し、最終的には勝利するのだが、処遇は当人の予想とは大幅に異なり、出向を言い渡されるという結末で終わる。


「続編のために、敢えてこのような形にした」、「映画化をするために、あえてインパクトの強い変な終わり方にしたのではないか?」、「黒幕は頭取だったのではないか?」
などが、ネットを賑わすコメントだ。
何というひどい人事だ、と残念に感じている方も多いのだろう。

しかし、筆者はこの人事、実は頭取の主人公に対する期待の表れであったと解釈している。
その意味では、条件付きながらかなり愛情のある人事だと言って差し支えないと思う。


これまで、半沢は銀行においてかなり仕掛けられ、裏切られ、スケープゴートにされながら、土壇場でピンチを切り抜けてきた。

大和田との最終決戦も構造としては同じだが、大きく違う点が1つ明確に存在する。


それは、これまでの勝利は全て、お客様のため、銀行のため、銀行員として自らが信じる行動をとったことにより収めた勝利である。

しかし、最終回は明らかに異なり、最後は純粋に私怨で、個人として大和田を貶めることが目的になってしまい、頭取の静止も無視して宿敵大和田に、取締役会出席の全ての人の前で、土下座をさせるというところまで追い込んでしまった。

これを主人公サイドにたってみた場合、スッキリした、溜飲が下がったと感じる向きも少なくないであろうが、この土下座はいったい誰の役にたったのだろうか?

もっと言えば、この光景を目にした人々にどのように映ったかを想像すると、半沢の狂気が透けてみえ、結局は、彼らに「未来の大和田」を想像させたようにすら見える。

仮に、今の半沢を2階級特進などに処遇した場合、狂気を通して倍返しした人間は褒められるという行為が「黙認された」と人々は感じ、殺伐とした文化が定着化していくだけで、父親を自殺に追い込んだ銀行の体質改善、意識改革とはほど遠い道を歩むことに他ならない。


頭取は、出向を言い渡す場面で、「この人事を是非とも受けて欲しい」と宣言し、発令する。
獅子が我が子を千尋の谷=bottomless ravine へ突き落すというが、まさにそのような心境ではなかっただろうか。

恐らく将来頭取の候補になれるくらいのパワーのある才能ある若者に、自らの狂気に己自身が気付くことで、自律的に成長して欲しいという愛であったように思われる。


やられたらやり返すという気概はバネになる。
しかし、実際に私怨で個人攻撃をしてしまえばそれはもう、社会人として、大人として不適格者ということになってしまうのではないだろうか?

ましてや、メガバンクの本社の次長であり、部下をもつ管理職としての立ち居振る舞いとして適切だったのか?

顧客のため、銀行全体のためになるという目的に合致した行動だったのか?

本当に強さを持った人間であれば、顧客のため、銀行のためにどのような行動を取るべきかを徹底的に考え抜くことが求められる。


心理学者のチャック・スペザーノ博士の著書に、「幸福こそ、最大の復讐である=Happiness is the Best Revenge」がある。
スペインのことわざにも、同じものが存在する。

倍返しとは、直接相手に痛みを与えることではなく、自らの成長、人のために尽くす行動という形で返すことが出来れば、大きな幸福につながるのではないだろうか。

人の上に立つ人間であれば、一歩進んで部下にその経験を積ませることで、幸せの意味を学ばせる責任があるのではないだろうか。

続編の半沢が、出向先で初心にかえり、素晴らしい活躍をすることを期待したい。


2013年9月6日金曜日

福島第一原発対応から学ぶ-見て見ぬふりをする平成日本人気質

連日のように報道されている、福島原発の放射能汚染水漏れ問題だが、この僅か10日程度で紆余曲折した。

8月30日に衆院経済産業委員会の理事懇談会において、放射能汚染の水漏れ審議は先送りとなった。
9月7日に控えたIOC(国際オリンピック委員会)総会前に、審議の紛糾は五輪招致に致命的との判断が働いたためとニュースは伝えた。

その後、2日のニュースではタンク周辺で最大、毎時1,800ミリシーベルトの放射能が観測されたと報じた。この値は4時間浴びると死に至るという放射能レベルとのこと。

さすがに、海外メディアもこの問題を連日記載しはじめ、これに伴い政府主導での対応が必要と判断し、急きょ470億円を投入して、政府が前面に立つことが決まった。

いわく、「一刻も早く問題に対処すべき」、「東電に任せておけない」とのことだ。


しかし、本当にそうだろうか?少し検証してみたい。

まず時系列に整理をすると、地下貯蔵庫から汚染水が検出され始めたのは、今年4月の上旬からで、抜本的な対策がなされないまま、7月には海流への流出が発表された。

更に8月20日に貯蔵タンクから300トンの汚染水漏れが確認され、同28日に国際評価尺度でレベル3(重大な異常事象)に引き上げられた。

これまでは原因が特定できないということで、発災以来2年半が経過しようとしている今日まで、何ら抜本的な対策が講じられず、いわば場当たり的な対処療法で過ごしてきたのである。

少なくとも、4月からの一連の出来事は、いずれも「一刻も早く対処すべき問題」ではなかったのだろうか?


次に、今何が問題なのか?についてその構造を整理すると、

①災害発生からずっと冷却水が注入され続けており、その汚染された冷却水が地下貯水槽から毎日400トン汲み上げられ、地上の貯水タンクに移されている。その結果タンクが日々増え続けていること。

②その汚染水を貯蔵しているタンク群の複数のエリア(現在4か所)から、汚染水流出が確認されていること。

③毎日1,000トンと言われる山側からの地下水の流入があり、原発は貯水タンクも含めその上に位置していること。

④汚染水が、毎日海流へ流出していること。

となるだろう。


これに対して、この度出された政府案は3つの柱から構成されている。

1.地下水を近づけない-上記1,000トンの地下水を近づけないために、原発全体を凍土壁で覆ってしまい、地下水が原発から迂回して海にそそがれるようにする。

2.汚染を取り除く-放射性物質除去装置「アルプス」の改良版を新たに開発して設置する。

3.海へ漏らさない-海側地盤の改良工事を加速。

というもののようだ。


しかし、凍土壁の完成予定は2015年夏ごろということで、どう少なくみても1年以上かかることは必定で、技術的にもこれほどの規模の経験はなく、更には今後どの程度続けるのか見えない長期にわたる運用(これまでの最長実績は2年)が求められるが、いずれもが未知数である。

また、現在のアルプスでは、放射能漏れ、腐食の問題などが発覚していることに加え、これからの開発になるため、これも進捗次第である。

何れの対策も、一刻も早くというのがこの先、半年、1年という単位で何も起こらないことなる。

しかも、完成までの対策、実際に作業する人員の確保などは触れられていない。
東電任せにできない計画のはずだが、結局は資金の手当てだけして東電に押し付けという構図だけは避けて欲しい。

そうでなくては、2年半の沈黙を突然破って470億円拠出する決定の拠り所である、政府主導、一刻も早くのいずれもが崩れてしまう。
そう感じるのは私だけだろうか?


一方で、先日1986年4月に起きたチェルノプイリ原発事故のその後をメディアが伝えた。

「27年たった今、ようやく廃炉に向けた準備をすすめる」というもので、実際に事故を起こした4号炉の原子炉建屋は、現在石棺で覆われているが、老朽化が進んだため、石棺ごと巨大シェルターで覆うというものだ。耐用年数は100年。

また、1から3号炉は2064年までに廃炉を完了する。とのことだ。

当時、発災2か月後の6月に60万人の兵士が導入され、原子炉建屋を覆う石棺建設が行われた。石棺は11月までのおよそ5か月で建設を終了した。対用年数は30年。

建設後27年目にあたる今年、対用年数が近づいたこともあり、巨大シェルター建設計画となったようだ。総費用は1,200億円とのこと。


我々日本人は、このロシアの経験に学ぶことは出来なかったのだろうか?
そもそも、しっかりとヒアリングや調査、分析などを実施したのだろうか?

上記の通り、我が国と比べロシア政府の対応は素早かった。
2年半が経過し五輪招致を前にした今、やっと重い腰を上げたことと比較するとその差は歴然だ。

何故、このような大きな差が出来てしまったのか?
「当事者意識の欠如」、「無関心」、「都合の悪いものには目を向けない」ことの表れではないだろうか?

上記3つを私は勝手に平成日本人気質と呼んでいる。

五輪招致も結構だが、福島の皆さん、いつ終わるともしれない原発対応の作業をしている職員の方々、汚染水を流出されることで操業できない漁業従事者の皆さん、そしてひょっとしたら影響を受けているかも知れない近隣諸国の皆さんへの対応は十分なのか?

政府として、東京電力として、この国の国民として、しっかり当事者意識を持って都合の悪い、汚染水問題に目を向けているだろうか?

「今からでも出来ることは何か?」を、1億人が真剣に考えたら凄いことが起こるのではないだろうか?
かく言う私も、改めて当事者意識を持って考えてみたいと思う。