2013年9月6日金曜日

福島第一原発対応から学ぶ-見て見ぬふりをする平成日本人気質

連日のように報道されている、福島原発の放射能汚染水漏れ問題だが、この僅か10日程度で紆余曲折した。

8月30日に衆院経済産業委員会の理事懇談会において、放射能汚染の水漏れ審議は先送りとなった。
9月7日に控えたIOC(国際オリンピック委員会)総会前に、審議の紛糾は五輪招致に致命的との判断が働いたためとニュースは伝えた。

その後、2日のニュースではタンク周辺で最大、毎時1,800ミリシーベルトの放射能が観測されたと報じた。この値は4時間浴びると死に至るという放射能レベルとのこと。

さすがに、海外メディアもこの問題を連日記載しはじめ、これに伴い政府主導での対応が必要と判断し、急きょ470億円を投入して、政府が前面に立つことが決まった。

いわく、「一刻も早く問題に対処すべき」、「東電に任せておけない」とのことだ。


しかし、本当にそうだろうか?少し検証してみたい。

まず時系列に整理をすると、地下貯蔵庫から汚染水が検出され始めたのは、今年4月の上旬からで、抜本的な対策がなされないまま、7月には海流への流出が発表された。

更に8月20日に貯蔵タンクから300トンの汚染水漏れが確認され、同28日に国際評価尺度でレベル3(重大な異常事象)に引き上げられた。

これまでは原因が特定できないということで、発災以来2年半が経過しようとしている今日まで、何ら抜本的な対策が講じられず、いわば場当たり的な対処療法で過ごしてきたのである。

少なくとも、4月からの一連の出来事は、いずれも「一刻も早く対処すべき問題」ではなかったのだろうか?


次に、今何が問題なのか?についてその構造を整理すると、

①災害発生からずっと冷却水が注入され続けており、その汚染された冷却水が地下貯水槽から毎日400トン汲み上げられ、地上の貯水タンクに移されている。その結果タンクが日々増え続けていること。

②その汚染水を貯蔵しているタンク群の複数のエリア(現在4か所)から、汚染水流出が確認されていること。

③毎日1,000トンと言われる山側からの地下水の流入があり、原発は貯水タンクも含めその上に位置していること。

④汚染水が、毎日海流へ流出していること。

となるだろう。


これに対して、この度出された政府案は3つの柱から構成されている。

1.地下水を近づけない-上記1,000トンの地下水を近づけないために、原発全体を凍土壁で覆ってしまい、地下水が原発から迂回して海にそそがれるようにする。

2.汚染を取り除く-放射性物質除去装置「アルプス」の改良版を新たに開発して設置する。

3.海へ漏らさない-海側地盤の改良工事を加速。

というもののようだ。


しかし、凍土壁の完成予定は2015年夏ごろということで、どう少なくみても1年以上かかることは必定で、技術的にもこれほどの規模の経験はなく、更には今後どの程度続けるのか見えない長期にわたる運用(これまでの最長実績は2年)が求められるが、いずれもが未知数である。

また、現在のアルプスでは、放射能漏れ、腐食の問題などが発覚していることに加え、これからの開発になるため、これも進捗次第である。

何れの対策も、一刻も早くというのがこの先、半年、1年という単位で何も起こらないことなる。

しかも、完成までの対策、実際に作業する人員の確保などは触れられていない。
東電任せにできない計画のはずだが、結局は資金の手当てだけして東電に押し付けという構図だけは避けて欲しい。

そうでなくては、2年半の沈黙を突然破って470億円拠出する決定の拠り所である、政府主導、一刻も早くのいずれもが崩れてしまう。
そう感じるのは私だけだろうか?


一方で、先日1986年4月に起きたチェルノプイリ原発事故のその後をメディアが伝えた。

「27年たった今、ようやく廃炉に向けた準備をすすめる」というもので、実際に事故を起こした4号炉の原子炉建屋は、現在石棺で覆われているが、老朽化が進んだため、石棺ごと巨大シェルターで覆うというものだ。耐用年数は100年。

また、1から3号炉は2064年までに廃炉を完了する。とのことだ。

当時、発災2か月後の6月に60万人の兵士が導入され、原子炉建屋を覆う石棺建設が行われた。石棺は11月までのおよそ5か月で建設を終了した。対用年数は30年。

建設後27年目にあたる今年、対用年数が近づいたこともあり、巨大シェルター建設計画となったようだ。総費用は1,200億円とのこと。


我々日本人は、このロシアの経験に学ぶことは出来なかったのだろうか?
そもそも、しっかりとヒアリングや調査、分析などを実施したのだろうか?

上記の通り、我が国と比べロシア政府の対応は素早かった。
2年半が経過し五輪招致を前にした今、やっと重い腰を上げたことと比較するとその差は歴然だ。

何故、このような大きな差が出来てしまったのか?
「当事者意識の欠如」、「無関心」、「都合の悪いものには目を向けない」ことの表れではないだろうか?

上記3つを私は勝手に平成日本人気質と呼んでいる。

五輪招致も結構だが、福島の皆さん、いつ終わるともしれない原発対応の作業をしている職員の方々、汚染水を流出されることで操業できない漁業従事者の皆さん、そしてひょっとしたら影響を受けているかも知れない近隣諸国の皆さんへの対応は十分なのか?

政府として、東京電力として、この国の国民として、しっかり当事者意識を持って都合の悪い、汚染水問題に目を向けているだろうか?

「今からでも出来ることは何か?」を、1億人が真剣に考えたら凄いことが起こるのではないだろうか?
かく言う私も、改めて当事者意識を持って考えてみたいと思う。





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