2014年6月21日土曜日

Wit(ウイット)の欠落-塩村都議への野次の本質を考える

6月18日、都議会において、塩村都議(みんなの党会派)の晩婚化、晩産化対策における質問に対して、心無い野次が飛んだことは、既に皆さんもご存知のところだと思う。
21世紀の日本の首都東京都議会において起こったことに対して、実に私も同じ都民として恥ずかしい思いで一杯だ。

この件における野次の本質と、そもそも野次とは何か、議会におけるあるべき立ち居振る舞いとは何かを少し考えてみたい。


この問題、本質的には今後の我が国の方向性に影響する、極めて重要な問題である。
少子高齢化が叫ばれて久しいが、日本の人口分布は大きく変化している。

厚労省の統計によれば、高齢者の割合は1950年台では1桁であったものが、2010年国勢調査の結果は23%、2012年では24.1%、このまま推移すれば2055年には約40%に達する見通しである。

労働人口50%に対して、高齢者が40%という、極めて困難な時代を間もなく迎えるのである。

塩村都議の晩婚化、晩産化への質問は、このような人口推移の中、如何にして安心して結婚、出産できる社会にするのか?を本質的に問うた議論であった筈だ。


しかし、これに対する野次が、「お前が早く結婚しろ」、「産めないのか?」という問題の本質とは関係のない、セクハラまがいの低俗な内容であった。

塩村都議は、広島県出身の被爆2世であり、ご自身もそうだが、「年齢、病気、結婚、妊娠、出産に悩みを抱えている女性は沢山おられるが、その方々に対して本当にそのように言えるのか?失礼ではないか」と、インタビューでも回答されている。

現代日本は、出産、育児という観点からみて、素晴らしい環境とは言い難い、その根幹を議論すべき議会の場を議員として、どのように受け止めているのだろうか?と呆れてしまう出来事である。
晩婚化、晩産化の問題は、野次を飛ばした議員が考えているであろう程度の問題ではなく、国全体で真剣に考えてゆくべき課題である。


また、問題はもうひとつある。どのような責任と覚悟で議会に臨んでいるのか?という姿勢、矜持の問題である。


議会、野次といえば、つとに有名なのはイギリス議会だ。
しかし、そのイギリス議会であっても、ウィットに富んでいない野次、明らかに行き過ぎた野次及び、野次に対する反論については、首相といえどもしっかりと謝罪する。

ひとつ例を紹介すると、2012年5月英下院において、キャメロン首相が、労働党のシャドーキャビネット(影の内閣)で、財務相を務めるエドワード・ボールズの野次に対して「ブツブツ言うバカ」と言ったため、議長が「議会の慣例に反する」と指摘した。

これを受けてキャメロンは笑顔をむけながら「バカ」という表現を「我々を巨大な財政赤字と金融危機の中に置き去りにした男」に置き換えた。

紳士の国英国らしい、実にウィットに富んだエピソードである。
http://newclassic.jp/15867
(上記サイトに更に詳しい内容が記載されているので参照されたい)


アメリカに至っては、殆ど野次を飛ばす議員はいない。正式に発言機会を得て堂々と議論する。


今回の野次は、内容もさることながら、これだけ騒がれているにも関わらず、6月21日現在、野次を言った本人が名乗り出てこないことは、極めて問題だ。

議会は、都民により選ばれた議員が、都民に代わって代議する場である。
すなわち、代議士とはその責任を有権者から付託されている立場である。

自らの発言には、たとえ野次といえども責任をもつべきだ。
ましてや、私的な感想や議論の本質と何ら関係のない、低俗なセクハラで、女性蔑視と断言しても過言ではない発言をする場では決してない。

万が一発言してしまったとしても、議員としての責任と自覚があるのであれば、しかるべき態度で事の収拾を図るべきだ。

英国の例を先にお話ししたが、英国が紳士の国であるならば、我が国もブラジルにサムライを送り出している国ではなかったか?かつてはサムライの国と呼ばれてはいなかっただろうか?


サムライイレブンや、ご先祖に対し顔向けの出来ないような振る舞いは、もうやめにしてはいかがなものか?