2013年8月8日木曜日

麻生氏発言の本質的な問題は?-文脈を見る力を養う

去る7月29日 都内での麻生太郎副総理兼財務相の問題発言が、
本当の問題点は何か?が明らかにならないまま、終息を迎えようとしている。


ご存知のナチスドイツに関する発言である。
ユダヤ人人権団体、中国、韓国、当のドイツからも批判の声が上がり、本人は発言を撤回したが、海外メディアから非難が続いた。

何とも奇妙なことに、冷静にこの事態を検証してみると、非難される側、非難する側の各関係者の誰一人として、事の真相、全体像をつかんでいないのでは?と首を傾げたくなる。


まず、ユダヤ人人権団体は、「ナチスのどんな手法に学べというのか?」「ひそかに民主主義を損なうことか?」との声明を発表した。

次に当のドイツは、「ナチスは合法性を装い、憲法を失効させた」「誰も気づかないで変わったなどということは全くなかった」という趣旨の指摘をしている。

WSJ(Wall Street Journal)では、通常ナチスを引用する場合、否定的に使う。肯定的に使うことは有り得ないし、あった場合政治的な責任問題となる。という趣旨の指摘だ。

中国、韓国はこのタイミングで日本が右傾化を加速させているという趣旨の発言を行い、国内メディアの論調は、発言内容の言及しやすい部分を取り上げて批判を行っているように見受けられる。


そもそも、麻生氏がどのような文脈でナチスという表現を使ったのか?これを明らかにするために、発言そのものを記載してみたい。


(サイトに全文記載がなく、報道ステーション映像より抄訳を記載)
・・・狂騒、狂乱の中で憲法改正を決めて欲しくない。落ち着いて我々を取り巻く環境は何か?状況をよく見た世論の上に成し遂げられるべきだ。
そうしないと間違ったものになりかねない。・・・・・

(憲法改正で)2/3(以上の賛成)の議論があるが、ドイツのヒトラーは、議会によって民主的に選挙で多数を占め、選ばれて出てきた。・・・ワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法の下で選ばれた。
憲法が良くても間違いは有りうる。・・・・・・・

靖国参拝も静かにすべきだ。「静かにやろうや」ということで、ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かない間に変わった。あの手口を学んだらどうか。・・・民主主義を否定するつもりは全くない。喧騒の中で決めないで欲しい・・・・・

概ね以上の内容である。


麻生氏の発言は4つの観点で問題があるように思う。

①ナチスの引用
今回ナチスを引用し、あたかもナチスを賞賛(特に後段)しているように聞こえる文脈で使ってしまったが、国際常識として、国の指導者が引用する事例としてはあまりに配慮に欠けた不適切な例であろう。

②事実誤認
麻生氏のコメントに曖昧な表現があり、咀嚼力が必要ではあるものの、明らかな事実誤認が存在している(ナチス憲法などは存在せず、1933年に全権委任法が成立し、一党独裁を認めるものとなった 等)。

③例示の利用
例示とは、ある表現、内容を解りやすくするために利用するものだが、麻生氏の場合主張したいと思われる内容と、引用がかみ合っておらず、解りにくくなってしまった。(後段が靖国問題にかかるのか、憲法改正かがはっきりしない)

④論理矛盾
そもそも何を訴えているのかが不明。
何を学べと言っているのか、文脈の前後がつながらない。

前段の主張(やや否定的に使っている)と後段(寧ろ肯定的に使っている)は明らかに不整合であり、そもそもの主張が解らない。
(前段の憲法改正と後段の靖国問題が何故か同じ文脈で語られ、一方はやや否定的にワイマール憲法を引用し、他方では手口を真似ろという肯定的文脈で同じワイマールを引用)

一見、前段はナチスを否定しているようであるが、咀嚼すると、
2/3以上の多数決があったとしても、ワイマール憲法下のナチスでは、ヒトラーは多数を占めて憲法を改正した。なので、喧騒の中で変えるのではなく、落ち着いて納得して変えるべき。

という主張だが、その先にあるのは自民党の改正案、96条改正条項の「2/3以上を過半数にする」を支持すべきというところにつながる。
2/3でも十分でないという主張なのに、何故自民の改正案を支持するのか?これも明らかに論理矛盾である。


上記のような内容に対して、ドイツ、ユダヤ人人権団体をはじめとする海外メディアのコメントは彼らの立場、麻生氏の発言内容の質を考えればある程度理解できる。

しかし国内メディアは、「海外のメディアがこう言っている。」「ナチスの引用は良くない」という主張に留まっており、メディアの立場が不明確なのである。


麻生氏の今回も含めた失言の数々は、与党の重責にある人間としては、社会人としての見識、政治家としての資質、与党ナンバー2の資格が問われる問題であり、このような政治家を輩出した我々自身を恥ずべきであり、引き続き我々国民が糾弾すべきものだ。


しかし、メディアの体たらくぶりは見過ごせない。
引用、批判をするなら、海外メディアの批判に便乗したり、些末な表現だけを指摘するのではなく、文脈をおさえ主張内容の何が問題かを明確に問いただすべきだ。

また今回、本当に問題視すべきポイントは、意味の通らない主張を軽々しく行った挙句、何ら脈絡とは関係のないナチスを、事実誤認により利用してしまったことだと思う。

しかし、その本質を正面から指摘した国内メディアは残念ながら、まだ確認できていない。

更には、発言撤回を発表した際に、「ナチスに対して極めて否定的であることは明らかだ」
というコメントを行った彼に関し、国内メディアから何ら指摘が見られないのは残念の極みである。
寧ろ国内メディアはトーンダウンしてしまった。

言い逃れが出来てしまうのは、国内メディア側の主張、質問力に問題があると思う。
この曖昧さを排除するためには、

自らの立場を明確にすること。加えて発言の文意、文脈をおさえることだ。
海外メディアから見られても恥ずかしくない、良識ある、緊張感を持った真に価値ある報道を切に望みたい。

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