2013年8月22日木曜日

隅田川流域の下町が熱い-下町アピール第二弾

先日、浅草の観光客数が年間2,000万人を超えたというニュースに触れた。


浅草は隅田川沿いにある江戸の情緒を残す歴史ある繁華街だ。今、浅草・隅田川が熱い。

隅田川を挟んで西側が台東区浅草、東側がスカイツリーのある墨田区になる。
今日は、暫しこの隅田川近辺について思いを馳せてみたい。

浅草は江戸時代、東京随一の繁華街であり、浅草寺の門前町として大いに栄えた。
その昔は遊郭で有名な吉原もこの地域にあり、江戸八百八町を下支えする日本一の歓楽街であった。


浅草が反映した経緯としては、浅草御蔵(現在の蔵前)に米蔵が設置されたことに端を発する。
ご存知の通り、当時の武士の給与は米であったため、旗本、御家人は幕府から米を支給された。
そして、この米の保管場所、およびその米を換金する機能をもった「札差(ふださし)」という商人たちが絶大な富を得た。

札差は、幕府からの蔵米の受け取りを旗本、御家人の代わりに行い、運搬、換金を行う。
更にはその米を米問屋へ売却する。この際2度利益が発生する。

また、札差は蔵米を抵当に旗本、御家人に対し金を用立てる金融業を営み、この金融機能が重要な役割を占めるようになり、次第に金だけではなく力を持つようになった。



この結果、札差たちが富を使って豪遊する場として浅草が栄えることになり、遊郭をはじめ、飲食街、歌舞伎の芝居小屋(中村座、市村座、河原崎座)、浄瑠璃などが集中した。


この隅田川エリアは文化としても栄え、古典落語、時代劇、歌舞伎、人形浄瑠璃などの舞台にも多く取り上げられ、江戸庶民はこの隅田川を大川と呼んで親しんでいた。

余談だが、正確には吾妻橋より上流を隅田川、吾妻橋から下流の厩橋までを宮戸川、厩橋から永代橋までを大川と呼んでいたようだ。

その隅田川にかかる橋は数多くあり、有名なものを挙げてみると、北から千住大橋、白髭橋、団子で有名な言問橋、ドジョウで有名な駒形橋、先ほどご紹介した蔵前橋、両国橋、永代橋、佃橋、以前跳ね橋として有名だった勝鬨橋などがある。

両国国技館などでも有名な両国という地名は、この橋が武蔵野国、下総の国の両国にかかる橋であったため両国となった。


東京スカイツリーのある駅は、以前業平橋と言い、伊勢物語の主人公在原業平にちなんで命名された場所だったが、現在はとうきょうスカイツリー駅に改名された。

昭和の中頃までは大変賑やかな場所で、花川戸の履物問屋街、すし屋通り商店街(明治には長さ100mの商店街に18件のすし屋が軒を並べていた)などがあり、中でも履物問屋は全国一の規模で、俗に「大坂、食い倒れ」、「京都、着倒れ」、「東京、履き倒れ」と称した。

また、小生の小学生時代までは、ろくろ首やオオイタチ(大きい板にペンキの血がついたもの)などの見世物小屋が立ち並び、寄席や映画館などのメッカでもあった。


しかし、東京大空襲の戦災、戦後はテレビの普及などで昭和40年代には映画館の閉館などにより、めっきり人通りが減少した。



その後、隅田川の花火大会の復活、浅草サンバカーニバルなどをきっかけに、仲見世、花やしきなどもイメージチェンジを図り、人力車による観光も盛んである。

浅草には三味線居酒屋なども存在し、民謡界の登竜門的な存在になっている。

因みに、小生の高校の同級生も浅草に店を構え、落ち着いた佇まいの雰囲気で津軽三味線を聞きながら、ゆっくりと食事ができるので、ご興味とお時間のある向きは、一度覗いてみて下さい。
http://www.waentei-kikko.com/


このように、浅草の様々な取組が功を奏して、徐々に活気を取り戻し、特に海外からの観光客が増え始め、宿は情緒のある浅草、昼間は東京近郊の名所を巡るなどという旅行者も多くいるようだ。

また、特にこの1年は隅田川対岸のスカイツリーオープンなどの追い風もあり、冒頭の数字を記録するまでに活況を呈している。

この内容は以前当ブログ
http://richard-kanasugi.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
でも触れているので、参照されたい。


スカイツリーの数字を見ると、オープン1年目の5月22日までの来場者数が、スカイツリータウンで5,080万人、スカイツリーで638万人を記録した。

東京ディズニーリゾートの2012年度1年間の来場者数2,750万人と比べても堂々たる実績である。



さて、色々と隅田川エリアの今昔に触れてきた。
ここでひとつ考えてみたいのは、現在の繁栄は’ホンモノ’かという点だ。

スカイツリーオープン以降の混雑は、観光各社の機動力によるところが大きい。
動員数は多いが多くのツアーでの滞留時間はごく短いものである。

団体ツアーでさらっと「通り過ぎた場所」、「一度行ったことがある場所」ではなく、個人や家族旅行で「滞在したい場所」、「また行きたい場所」にならなくては永く繁栄することは難しい。


隅田川エリアを、3,000万人の観光客を受け入れる京都や、海外の有名都市と肩を並べる観光地にするためには、多くの関係者を巻き込み、大いなる創意工夫がまだまだ必要だろう。

観光客に向け、「箱もの」だけではなく、そのエリアでの「息遣い」が魅力あるものとして、受け取ってもらえるよう、永い歴史と多くの資産を上手に活用して観光都市「隅田、浅草エリア」を実現して欲しいと願う。



0 件のコメント:

コメントを投稿