2013年8月13日火曜日

世界の遺産は誰のもの?-後世へのバトンの渡し方

8月10日に松山の道後にある宝厳寺が全焼し、所蔵されていた国の指定重要文化財である「木造一遍上人立像」が消失した。

当地は、正岡子規、夏目漱石などが訪れた名刹で、温泉街に暗い影を落としている。
原因ははっきりしていないが、防火設備は十分では無かったようで、何らかの過失によるものだとすると、失った代償としては余りに大きなものとなった。

世界には他にも危機に晒されている人類の宝が多く存在する。
今日は世界的な遺産とは何か、それらを人類がどう扱うべきかについて考えてみたい。

去る4月25日にも、3年目に入ったシリア内戦によって、世界遺産に登録されている北部アレッポの旧市街を象徴するウマイヤド・モスクのミナレット(光の搭)が破壊された。

政府軍と反体制派との激しい攻防の中、考古学上の至宝とされてきたウマイヤド・モスクだが、入り組んだ彫刻が施された列柱は焼け焦げ、多数の弾丸跡、煤の染みなどで覆われてしまっており、預言者ムハンマドの髪の毛が入っていると言われる箱やイスラム教の遺物が略奪された。


また、西アフリカ・マリ北部の世界遺産都市トンブクトゥでも、昨年5月にはアルカイダ系武装組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ」が、昨年6月にはイスラム過激派組織「アンサル・ディーン」が、それぞれ聖廟を破壊した。

そして2001年3月には、アフガニスタンでのタリバン政権による大仏の破壊が世界中に衝撃を与えた。

人類は何故、後世へ伝えるべき価値のある世界的遺産といわれるものを意図的に破壊するのだろう?

3世紀4世紀も前というならまだしも、21世紀の現代で数百年前と何ら変わらない愚行を繰り返している。
人類は成長していないのだろうか?



実は、破壊という行為でなくとも、リスクは存在する。ややもすると我々自身の何気ないふるまいが脅威になる可能性は十分にある。
例えば、世界遺産の建築物や、芸術品などにいたずら書きをする行為も、本質的には同罪である。
皆さんも観光地を訪れた際に、ご覧なった経験はおありだろう。

書いている本人は軽い気持ちでも、歴史上の重要な宝を私物のように扱ってしまう、倫理観の欠如としか言いようがない行為だ。

触れるような環境にしておくことを問題視するむきもある。
しかし、人類の遺産を近くで見ることは、歴史を学ぶ上でも、人格を形成する目的でも、豊かな感性を磨くためにも必要である。

一部の心無い行為をする輩のために、遺産を鉄格子で囲んで、多くの警備員に囲まれ、遠くからしか見られない状態を人類は望むのだろうか?




日本では、富士山の世界遺産登録に沸いているが、世界には上記の惨劇同様、2012年7月現在で38件の危機にさらされた世界遺産が存在する。

http://www.unesco.or.jp/isan/crisis/list/

世界的な宝をどう扱うべきなのだろう?我々人類は、まだその答えに向き合っていないのかもしれない。



ところで、アメリカでは今まさに、人類の宝をどう扱うかの議論が行われている。
先日、巨額の負債で破産したデトロイト市で、市が所有しているデトロイト美術館(DIA)のコレクションの売却を巡って意見が二分しているのだ。

実は、DIAは全米でも屈指の所蔵を誇る。
ルノアール、ブリューゲル、ゴッホ、ピカソ、ベリーニ、レンブラントなど6万点以上、
総額で1,000億超とも、なかには2,400億円との試算もあり、
市の財産管理を任命されたケビン・オア弁護士は負債総額1兆8千億円を減らすには良い資産と見ている。

しかし、美術品は市の財産であり、市民のためのもの。
従って、売却すべきでないという反対派も少なくない。
この声は市民、DIA職員から全米へひろがりはじめ、美術団体からは非難が続出している状況だ。


もちろん、美術品は金銭で売買されている。これは否定できない事実である。
しかし、これだけ多くのしかも1級品が一度に売却されるケースは極めて稀と言ってよい。

もしも、殆どが個人所有になってしまったら、人類はほぼそれらの名画を見る機会はなくなるだろう。
それで良いのだろうか?

しかし一方で、「市民のための所蔵であって、市の負債のために売却はしない」というコメントもやや違和感を覚えざるを得ない。
一地方都市の住民のものなのだろうか?



勿論、そのような例ばかりではない。
世界的な遺産を守るために、人類が協力して努力を続けている例も存在する。

例えば世界遺産であるイタリアのヴェネツィア。
水の都で有名であるが、その反面、毎年のように浸水被害にあっている。

アクアアルタという高潮の時期は1メートルを超える浸水になる。
特にここ数年は、環境変化の影響もあり、その頻度が高く、大きな被害となっている。

その対応のために、イタリア政府は、旧約聖書でユダヤ人たちを率いて開いて道になった紅海を渡ってエジプトを脱出した預言者モーゼにちなんで、「モーゼ」プロジェクトと名付けられた堤防建設を進めており、3000人の人員と5,600億円の費用を投じ2014年完成を目指している。

ヴェネツィアの住民、観光客、イタリア政府は、人類の宝である水の都を守るため、自らの生活での制約、観光の不便さ、税金の投入をそれぞれが負担して、維持に努めている。


人類史上にその名を残す芸術品、建築物、都市、自然はどれも素晴らしいものばかりだ。
二度と得られないような類まれな光や価値を持つ。

しかし、人類はその価値に気が付かず、破壊という愚考を今でも繰り返している。
世界レベルの遺産と言われるものは、もはや誰のものでもあるまい。
人類が協力して後世へ残すべきものであろう。

そのためには、人類は応分の負担を引き受けなくてはならない。
それが今を生きる我々が、後世へいかにしてバトンを渡すかの責任なのではないだろうか?
お盆休みの時期に、人類の遺産について考えてみるのも悪くない。

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